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随筆2026.08.10更新 2026.08.10

随筆

最近はAIとよく議論をするのだが、こちらの事前情報を渡しておかないと、いつも同じような説明をする羽目になり面倒である。故に、過去のチャットをMD形式で書き出し、それを乱雑にAIにナレッジとして何ファイルか投げ、そのファイルの中身を隅から隅まで読み込んでもらった上で議論している。然し、やはりある程度綺麗な形で整った文章でなければ、ナレッジとして渡しても不要な情報まで読み取った返答になり、返答の質が低下することがしばしばあった。それを避けるため、綺麗に整った文章を作成して保管し、いつでもAIに渡せる形にできる方法を考えることにした。
とりあえず書いて保管するならブログが良いと思い、以前利用していたnoteというサービスで書き始めようと考えたのだが、どうもあの手のSNS系のブログ形式だと、他者からの目線を意識したブログを書こうとしてしまい、自らの思考を無闇矢鱈に脚色した形で表現してしまうことに嫌気がさしてやめたのだったということを思い出した。
また、関連記事という仕組みが嫌だったのだ。自らの記事が画面内の関連記事に表示されるならまだしも、興味のない他者の煽り記事などを関連記事で表示されるのはごめん被る。煽り文句は目に入るだけで疲れる。
故に、サクッと自分の専用ブログサイトを作れば良いと気づき、一日かけてこのサイトを作ったのだ。
作る過程で、どうせならブログという比較的軽い響きの横文字を使うのではなく、日本語で重みのある響きを持つサイトにしたいと思い、まずブログとは抑どのような意味の言葉であるのかを調べた。そうすると、どうやらブログはウェブログの省略であり、元を辿ればインターネット上の記録ということになる。インターネットを無理やり日本語にすれば世界通信網の記録?になるのだろうか。
そんなわけで、ブログというのは本来非常に広範な意味を持った言葉であることがわかった。然し、こうなると直接日本語に直すことは難しいと考え、より的確に何を書くためのサイトにするのかを考えた。そこで思いついた代替表現が随筆である。随筆と聞いて想像するのは、『枕草子』『方丈記』『徒然草』あたりだろう。あれらは日常的な暮らしや風景から、自らの思考の働きを文字に起こす営みなわけだが、現代の随筆として数えられる本の中には、どうも決してもってこれに収まらないものがたくさんある。例えば、このサイトの題として使わせてもらっている小林秀雄の『考えるヒント』がまさにそうだ。あの作品は随筆という扱いになるわけだが、日常とかけ離れた入りから始まり、終始抽象的な議論を積み上げ、結論まで飛んでいってしまうこともある。そう考えると、随筆というものは決して、現代のエッセイのように日常の雑記でもなく、結論が必ずしも存在しない文章というわけでもないということだ。となると、小林のような文章が評論や論考ではなく随筆になるのはどうしてか?と考えることになる。小林の随筆は非常に論理的であるから、論考と言ってしまってもおかしくはない気がする。然し『考えるヒント』は評論・論考ではなく随筆だ。そこで、随筆と論考の文章形態の違いを考えてみることにした。そして、真っ先に思いついたのが、随筆は突然話が始まり、最後に結論があるのかどうかもわからないまま読み続けるのに対し、論考は最初に結論が提示され、それを納得するための文章を読み続けるという違いだ。
つまり、随筆は思考の過程をみせるのが主であり、結論は二の次としてあちこちに思考を巡らすのに対し、論考は結論が主であり、それを示すための思考の過程は、無駄を削ぎ落とした直球のものにするということだ。
そう考えると、随筆と論考は表現形式として綺麗に棲み分けができるし、どちらかに優劣があるわけでもないということになる。これまで随筆=エッセイという認識だったため、あまり興味を唆られず読んでこなかったが、こういう見方をすると、他者の思考の過程を見るために読んでみたいと思ったし、早速自ら随筆を書いているところなのだ。
というわけで、このように自らの随筆や論考をネット上に公開しておくことで、AIにナレッジとして渡しやすい書き出し機能を備えつつ、この文章を読んでくださる方々に何らかの考えるヒントを提供させていただく事ができていれば幸いなのである。